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およそ2010年くらいからだろうか、
西多摩で暮らしていた僕らが田んぼを始めたのは、
どろんこの中手植え、手狩り、天日干し。
若い人が何人か集まってやっていた。
僕らには必要だった、「地に根を張ること」が
2007年ぐらいからやってたバンド、ムビラトロンのメッセージが、
「自然とtもにくらす、サステイナブルな生き方』
にもかかわらず、農作業一つやっていない自分に矛盾を感じていた。
「芸術家は、米作って、余った時間で好きなことすりゃあいいんだよ」
バンドメンバーのOtoさんの言葉、
カフェスローの前向きな環境問題のメッセージ、にも影響を受けた。
お金中心の近代文明から脱却し、自立、自給自足の生活。
それに憧れて、歩み始めた、30代後半、下手なりにも、お米が実ると、どうにかやっていけるような気がしていた。
土に根を生やしたような安心感。
それが僕の支えになった、
何かあっても、すくすく育っていく稲を見ると、なにやら安心して、この地球の一員になったような気がした。
3,11の後、岡山へ移住
僕らはすぐ田んぼを借りて、米を作った。
草取りは大変だったけど、実ってくれる嬉しさには変え難く。
周囲の人も感心して見守ってくれていた。
無農薬でやる人は、ほんの一握りで、
周りの人たちは口々に、「植えたばかりの時に、一発だけ、除草剤を撒くんだそしたら楽になる」と言った。
何度言われても、頑なに巻かないでいたが、あまりの草の多さに、一度だけ試してみようと、除草剤を田んぼに入れてしまった。
みるみる緑の粉末が広がる、もちろん胸が痛んだ。
自ら、大事にしてきた土を汚したのだ。
それから、カエルの姿も、トンボも、虫ケラひとついなくなってしまった。
僕の心は、コンクリートのように、カチカチになって、虚しさが広がっていった。
僕の心と、田んぼはリンクしていたのだ。
田んぼの草をとる時間に、音楽がやりたい、そんな時間を作るために、雑草ひとつ生えない、砂漠の田んぼを作り出してしまった。
これでは、田んぼをやる意味はない、
その年の収穫量は、いつもの倍くらい、でも、全く嬉しくなかった。
次の年、無農薬でもう一度やってみた。
思った通り、忙しさに追われ、草だらけ、収穫は、ほんの僅かになってしまった。
こんなに苦労して、これだけの収穫、あまりの結果に、やる気が萎えてしまった。

所詮都会育ちの、私では、体力も、経験も、この辺の人と違う。
それなのに、相当無理をしてやっていたのだろう。
理想を高く持ちすぎたのが原因か、やはりたくさんのことをやりすぎなのだろう。

アフリカで、ザウォセさんがしていたように、農業と音楽の両立を、目指してみたが、
そう簡単なものではないという、ことを、ようやっと身にしみてわかった、
農業をする人たち。
尊敬する。
農薬を使っても、使わなくても、
食べるものを作るなんて。
すごいことだな。


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2022.08.21 / Top↑
豚もおだてりゃ木に登る
というように、褒められると人は有頂天になって、自分を見失ってしまう。
人を褒めるということは一つの武器なのだ。
処世術の一つとして、どんな本にも書かれているので、
ビジネスマンは、社交性の一つとして、褒める話術を得意げに使う。
そもそも褒めるということは、目上の人が下の瞳向かってすることなので、
見下した行為なのだ。
「先生と呼ばれるほどのバカじゃなし」
というくらい、バカにしているとも言える。
なのに、お互いに褒めあって、あたかも遮光性を身につけているみたいに思っているのは、
勘違いもいいところだ。
そして、本当のことを話す人が少ない。
みんな自分が可愛いのだ。

「出アメリカ」という正木たかしさんの本に、
インド人に飴だまをいくつも出されて、もらうままにもらっていると、最後に
「これはアメリカだよ!」と言われてしまう、という逸話が載っている。
その話でもわかる等に、気持ちよくさせて、その人の足元を救おうとしている人がいるということだ。
口に甘く、腹に苦い。
(小麦粉や砂糖もその一つ)
いつの間にか精神を侵されてしまう、
それはGHQが仕掛けた、戦後の罠なのだ。

「嫌われる勇気」というアドラー哲学の本にも、子供を育てるときに、褒めてはいけないとある。
なぜかというと、褒めることによって、子供はありのままの自分を失ってしまうのだという、

親に認められる自分を、親が褒める行動を、自らに敷いてしまうようになってしまうという。
そうするとありのままで入れなくなってしまうという、
(親のコントロール下に置かれてしまう)

結局、褒めるということは、その人をコントロールしようとしているという行為なのだ。
心から、感動して、褒めてあげたいというなら、それはそれでいいと思うが。
無理に、人を褒めることも、自分可愛さから出たものであれば、
不自然な人間を作る一つになってしまうのかもしれない。



2022.04.28 / Top↑
小麦粉アレルギーの方のためにあるグルテンフリー、僕はアレルギーではないのですが、小麦粉を辞めました。
ドーナッツや、パン、麺類が大好物で、それ中心に生きていると言っても過言ではないほどでしたが、
小麦をやめてもう10年になります。

結果から言うと
小麦をやめていいこと
1、疲れにくい(長距離タイプの持続性)
2,イライラが軽減される(忍耐強くなる)
3,食べなくても平気になる(食べることに惑わされない)
4,風邪や花粉アレルギーが出ない
大きく見積もってこのぐらいのことは皆さんに起きると思います。

逆に小麦を食べた時
1,眠くなる。
2,やる気が出ない。
3,すぐあきらめる。
4,食べた時ドキドキこうふんする、そして上がった分すぐに下がる。(軽い鬱)

小麦を止めるときの禁断症状
・3日くらいでイライラしてくる。
・1週間から3週間でイライラがピークに達する。(キレる)
・3ヶ月後小麦を見るのも嫌になる、見ても欲しくなくなる。
少しでも小麦粉を食べると拒否反応が出る(眠くなる)。

これほどまでに違うかと言うぐらい健康的になる効果があると思います。
小麦粉はお酒や、飴玉と同じように依存性のある食べ物だと思います。
口に優しい分、体を蝕んでしまうし、精神まで影響が出てくると思われます。
好きなものを食べなくすると言うのは、とても難しいことですが、
もし健康や精神のことで悩んでいる人がいたら、試してみるのも一案だと思います。



2022.04.19 / Top↑
わ●チン
木工学校に通っていた時の事。
同じ机で課題を作っていた人が、
わ●チン3回目を受けてきた日の次の日
いつも通り課題を取り組んでいた、
今日はいつもより、ファブリーズのような匂いが余計にしてくる。
午後の授業の時、突然頭がくらっとして、床に倒れそうになった。
「何これ?」
それまでは、健康なはずだったのに。
動くのがやっとなぐらい、
聞くと隣の机の方は、わ●チン3回目を打ったばっかりだという。
次の日の朝、布団から起きあがろうとすると、
地球がぐるぐる回っていて、起き上がれない。
ここ10年健康に過ごしてきたから、理由が全くわからない。
どうにか堪えてがっっこうにいくも、
倒れそうなまんま、機械などを扱うのも危ないので、
先生に言って、教室で横にならせてもらった。
一緒に机で作業していた人も帰るという、
奥さんが入院するからだった、
その次の日は、その方のお母さんが調子を崩したらしい、また入院するという。
3回目を打った人の、家族がみんな、具合が悪くなってしまったということになる。
僕は、おかげで1週間、鯨飲不明の頭痛、めまいに悩まされ、
待ちに待った自由課題の時間を、苦しみとの戦いで過ごすことになった。

僕がこんなことを書くのは、
大事な人に、なくなってほしくないからだ。
3回目のわ●チンは相当危険だということが、実体験としてわかった以上。
それを伝えないわけにいかない。
少なくとも僕の友達は、絶対に3回目は受けてほしくない。

どんなこともそうなのだと思うが、
なぜ鵜呑みで信じる人がいるのかが。
本当にわからないけど。
少なくとも、そのくらいの危険は察知してほしいと願うのは、安易な思いなのだろうか?。
2022.04.19 / Top↑