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「本当の自分に返る」
小学生の時、家の前の坂を降りたところに、バレエ教室があるのを見つけました。
ある時、そこの扉が開いていて、中にレオタードを着た女の子たちが足を上げたりしているのが見えました。
何かとても楽しそうで、僕は直感的に習いに行きたくなりました。
「バレエを習いたい」と母に言うと。
「いいけど、あれは女の子のやるものよ」と言われました。
母としては、ただでさえナヨナヨしている僕が、さらに女の子みたいになったら大変だと、心配したのかもしれません。
僕は、それを聞いてなんだか恥ずかしくなって、習うのを諦めました。

生きづらかった中高時代

生まれつき目が悪くて、メガネをかけて、漫画ばかり描いていた僕は、家の中にいることが多く、体も虚弱体質でした。
そんな感じだと、女の子には全くモテませんでした。
高校に進学する頃、マンガ、プラモデル、ラジコンをやめて、メガネも外して、かっこよくなろうとイメージチェンジを図りました。
外見と内面にギャップがある中で、彼女もできたのですが、かっこよくなりたいと思うほど、自分の本質とは離れて行き、だんだん本当の自分がわからなくなっていきました。
彼女も、僕のことがわからなかったようで、結局うまくいきませんでした。
そして、自分が落ち着く場所が少なくなってしまいました。
祖父(辰雄)にはよく「りゅうちゃんは好きなことをやって生きなさい」と言われていたのですが、
好きだった趣味を全てやめて、さあやりたいことをやれと言われても、今さら絵を描いたりすることに戻ることは、僕にとって難しい選択でした。
なので、どんな方向に進んでいいのか全くわからなくなってしまいました。
とりあえず、内向的で、体が弱いという自分を変えたいという気持ちから、造園屋でアルバイトすることにしました。
やったこともない、草刈り、穴掘り、木の剪定など、もともと自分に合わない仕事でしたが、試練と思ってやっていました。

太鼓との出会い

友達の誘いから、この頃、太鼓を叩くことも始めました。
太鼓といっても小さなボンゴでしたが、体を使って健康的だし、意外と上手に叩けて、みんな喜んでくれるので、友達を作るのにも、ちょうどよかったです。
音楽には、人と人とをつなげる、不思議な力があり、引っ込み思案な自分を解放するのに役に立ちました。
太鼓がきっかけで、アフリカに行って、カリンバと出会いました。
太鼓よりもマニアックなこの楽器が自分に合ってると感じ、毎日カリンバを弾いていました。
その時に、太鼓をやるならダンスもやれと先生に言われ無理やりダンスを習い始めました。毎日ダンスを習ううちに、踊ることが好きな自分を発見し、体と心が自由になっていく感覚がありました。
自分が思っていることを、体で表現することはとても気持ちのいいものです。
生まれて初めて、なんのしがらみもない辺境の地で、自分の魂が輝き始めていくのを感じました。
がんじがらめからの、脱出だったアフリカでしたが、日本では得られないものを発見して帰ってきました。
この時アフリカに行かなかったら、きっといまでも、生きづらさの中で生活していたでしょう。

そのままでいい

最近出会った本で「喜びから人生を生きる!」(アニータ・ムアジャーニ著)という本があります。
この本は、周囲の環境にがんじがらめになって、自分の本質を否定し、生きづらさを我慢しつづけた結果ガンになり、死んでしまい。臨死体験中、霊界で、本来の自分の輝きを思い出し、現世に戻ってきたら、三日間でガンが消えてしまったという驚きの実体験が書かれています。
この本にも書いてありましたが、誰でも、その人らしく生きているだけで、一人一人の役割を発揮している、素晴らしい存在なのだと書かれています。
どうして家族や、先生、異性、目上の人々、の目を気にして、自分の個性を曲げてしまい、自信が持てなくなり、生きづらさを感じてしまうのでしょう。
どんな立派な人でも同じ人間で、完璧な存在ではなく、自分の都合や、時に応じて意見が変わったりしてしまうものなのです。
でも神様は、そうではないと思います。
聖書を読んで祈っているといつも、「そのままでいい」という声が聞こえてきます。
僕がしてきた劣等感ゆえの遠回りも、僕の大切な人生の一部ではあります。
でも、やはり、他人より自分が劣っているという考えから頑張るより、「そのまんまの自分でいい」という喜びの中で、努力するほうが、はるかに充実した人生になっていくと思います。

現在の生活

現在は岡山で、自分で直した古民家に住んでいます。お米を作り、村の人に頼まれては、庭仕事をしたり、草刈りをしたり、造園業で学んだ技術が、とても役に立っています。今でも、太鼓を叩いたり、カリンバを弾いたり、作ったりして生活しています。
無論、生活するということは、簡単なことではありません。
住む場所とお米と薪はあるので生きてはいけると思います。
アフリカの農村のことを思えば、それで充分のような気もしますが、車を使うので、多少のお金は稼がなくてはなりません。
夫婦二人で子供がいないこともありますが、本当に困った時は、何処かから仕事が舞い込んだり、楽器が売れたり、不思議と神様がサポートしてくれるので、ありがたく思います。
周囲にも何家族か同時期に移住してきた人たちもおりますが、みんな元気にやっていて、お互い励まし合いながら生きています。
普通の人とは、かなり違った生活スタイルをしているので、周囲の理解も、容易に得られるものではありませんが、例え少数派と呼ばれようとも、これが自分の生き方なのだと思っています。
最近、またダンスを習い始めました。
ダンスを踊っている時、とても自由です。
色々な感情を身体中で表現しながら、生きている自分を実感します。
ずっとやりたかったことなので、楽しいです。
今は、人より変わっている自分の個性を、自分らしいと、楽しんでいこうと思います。
たまに格好つけてしまう自分すら、大目に見てあげて。
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2018.09.14 / Top↑
3年前、田んぼの脇に、出て来たシカを、斧持って追いかけ回していた自分。
都会から引っ越してきて、無農薬で米を作るのは、そう簡単なことではない。
苗を作り、田植機を隣人に借りて、やっと田植えして、すぐにシカの出没。
それからは、毎日シカの行動を見張り、竹で作った柵が壊されればすぐに補修する日々。
2mもある柵を跳び越えてくる、
周囲の田んぼより収穫が遅いので、他の田が収穫を終えてからが、勝負だ。
寝ていてもシカが鳴けば、外に出ていって懐中電灯を片手に田んぼを見回り、睡眠不足になりがちになる。
一年目は一反作っていた田の半分食べられ、二年目は三分の一くらいでなんとか押さえ、毎年シカのために働いていることにイライラしていた。
ある日、夜に車を運転していると、シカが二匹道の真ん中でケンカしていた。
僕はここぞとばかりにアクセルを吹かして、シカを追い回し、もう少しの所でひき殺してしまうところだった。
ブレーキを踏んで我に返った。
グレーの毛皮と丸い目がきれいだった・・・。
しばらく体中に悲しみがじわっと流れていくのを感じた。
どうして自分はこんなになってしまったのだろう。
僕の考えていた自然は、都会の中にある管理された自然だった。
実際自分の生死に関わる問題になってくると、とことん残酷で、やさしさなどかけらもなく余裕すらなくなっている。
こっちも必死だが、むこう(動物)も必死なのだ。
一瞬の猶予も許されない、待ったなしの世界。
町役場にシカ・イノシシ対策の補助を申請し、一年半がすぎてようやく鉄柵の材料が届いた。ご近所の方と三人で木を切り倒し、草を刈って、距離400m鉄柵を完成させた。
柱を打ち込むだけで、肘や肩が痛くてたまらなくなった。
ようやく、少しシカの出没も減ってきたようだ、今年は米が良くできてくれればいいと思う。
自分の側に余裕が出来てようやく、動物たちも大切な生き物なのだと感じ始めるようになった。
何となく安心してしまったのか、地域の草刈りをすっぽかしてしまった。
「ごめんなさい」人に会う度に謝ると、
「だれにでもあることじゃ、無理のない時に出ればいいよ」といってくれる。
1+1じゃわからないことが、世の中にはたくさんある気がする。
2016.07.21 / Top↑
災害の難を逃れて、安全な場所といわれると言われる岡山に家を買った。が
雨漏り3カ所、床板はボロボロ、水道も来ていない山小屋に、一人改修工事を続けて3ヶ月が経過していた。
頼る人もなく、新しい土地で家を直すのも初めての僕。
暗中模索の死闘の日々の後、近くの温泉に身を沈めるのが唯一落ち着く時間だった。
とはいえ、温泉に来る地元のおじさんと話しても、
「なんで、こんな所に来よったん、東京の方がええにきまっとるやろ」
と必ず言われてしまう。
あまりにもみんながみんな言うものだから。
「ここの人が言うように、やっぱり田舎に住むなんて無理なことなのかな?」
自分でもだんだん自信がなくなってくる。
湯船に身を沈めながら、そんなことを考えている時、湯けむりの中、入ってきた青年。
「へえ、若い人めずらしいな・・・・・・・???」
どこかでみたことのある・・・
いやまさか、でも未来君に良く似てるなあ。
世の中には似ている人がいるもんだ。
その後ろからまた青年が、
彼もまた友達の横地そっくりだ!!!
「え?!」
「もしかして未来君?」
思わず言葉が出ていた。
「え〜〜〜〜!龍一君どうしてここに?」
と驚きの表情。
後ろから来た彼も「え?何でリュウイチがいるの?」
すっ裸で指を差し合う3人。
話を聞くと3ヶ月後からこちらに移住する計画だという。
偶然にもそばに同志が住むという、驚きの出来事に、今までの不安は吹っ飛び、自分がここにいる事への確信が胸に広がった。
先の見えない真っ暗闇のトンネルの中から、光が見えたそんな瞬間だった。
2015.03.15 / Top↑
「田んぼ三反やらんか」
近所のおじさんが、僕が田んぼをやりたいと話していると、その場で言ってくれた。
「え、そんなにたくさん?」
今年は一反だけと決め込んでいた僕は少し躊躇していた。
正直、自家用の米を作るのは無理せず、楽しめる範囲でと思っていた。
奇跡のりんごの木村さんの米作りが、岡山で広まっているのことを知ったのはそのすぐあとだった。
倉敷で開かれた、報告会にとりあえず行って、話を聞いてみた。
「一年の費用4000円で一反できました。」
初めて田んぼをやる若者が報告していた。
木村さんは、草ぼうぼうの原っぱに、7回作業しただけで1反7俵とりました、かんたんです。
と本当に楽しそうに語っていた。
僕もやってみようか、やれば出来るかもしれない、お尻に火がついた。
しかしそこに来ている人は、ほとんど県南に人で、僕の住む県北でやっている人は少なそうだった。
地元の美作に近くで木村式をやっている人がいないかと思っていた矢先に、
美作のセッションパーティーで木村式をやっている方と会うことが出来、暗闇に少し光が見えてきたような気がした。
足しげく彼のところに手伝いに行きながら、木村式のあれこれを教えてもらった。
開墾作業を、近所のおじさんが貸してくれた古い耕耘機でやった、ディーゼルエンジンを手回しでかけるのも、僕には初めての経験で、わくわくした。
古い機械は、重くてごつい、でも一度動き始めたら、簡単には止まらないすごい頑丈な品物だ。
山々に響き渡るエンジン音とにかくでかい音が出る、僕はこのハーレーのような、ドドドドドという音が、たまらなく好きになった。
畝作りは、近所のお兄さんに畝作りの付いたトラクターでやっていただいた、その時、ヤ◎マーの方が、通りがかりに僕らのやっている田んぼに来て、クワで溝を掘っているのをみて、「昭和を感じますね」、
とか、コンバインも使わないで米を作ろうと思っていることを話すと、「地獄を見るようだ」と言って帰っていった。
その言葉に、本当にやれるのだろうか、としばしクワを片手にぼくは考えてしまった。
前年は、5セの田んぼを自然農法で人力で手をかけて育てたにもかかわらず、鹿にほとんど食べられてしまい、大失敗に終わっていたので、その悔しさがまだ心に残っていた。
今年はやられまいと、2月ごろから柵を作り、資材は周囲の竹を使った。2メートルの竹垣を一周100メートル、
それとは別に、3反借りた田んぼの2.5反を竹で支柱してネットを張り巡らせた。
苗は木村式の先輩から教えてもらい、苗箱で自分で作ってみた、
田植えも、自分で買った中古機械を3日かかってキャブを掃除してエンジンがかかるようになったにもかかわらず、うまく田植えが出来ず、結局近所のおじさんに機械を借りて植えた。
木村式で特徴的なのは、「こんだら」という名前のチェーン除草機、竹の筒にチェーンがたくさんついていて、それを、苗の上から引いてゆく、星飛馬の「おっもっいーーいこんだーあーら」の引っ張ってるシーンが思い浮かぶので、この名前になったらしい。(重いと思い違いなのだが)
草はその後、3,4日おきに3回除草した。
周囲の方々は、物珍しそうにそんな光景を眺めていた。
木村式であつかっている品種が、「朝日米」が主なので、やってみようと周りの人に聞くと、県南では良く栽培しているが、住んでる県北では、ほとんどやっている人がいないという。米が出来ても、干しているうちに穂からポロポロ落ちてしまうという特徴がある、と教えてくれた。
たいていの人は、やめた方が良いというので、2.5反の田んぼの4分の1だけ今回やってみることにした。
あとは、自然農で使っている、強い品種の、イセヒカリと赤米、黒米だ。
山ぎわから鹿が来るので、山ぎわに毛の長い古代米を植えてみた、
(前年、毛が伸びてからの古代米をあまり鹿が好まなかった様子だったので。〉
稲が伸びてくると、青い柔らかい芽を鹿が狙ってくる、ネットの下からくぐり抜けるので、さらにLEDセンサーライトを付け、足下に妨害があるのを嫌うので、地面に鳥用ネットを張り巡らし、なるべくは入りにくいように仕掛けた。
それでも、柵だけで合計2万円くらいかかってしまった。
いよいよ稲に花が咲き、少しずつ実ってくると、また鹿が「ぴーーろろ」と鳴く、近所の田んぼにも作物があるうちは、こちらばかりが狙われることもないのだが、朝日米は晩生といって、時期が遅く出来る品種なので、みんなが刈り取ってからまだ、一ヶ月ぐらい刈り入れを待たなくてはならない。
鹿が、柵の中に入っていると、近所の方や通りかかった人が連絡してくれて、夜中だろうが朝だろうが、車を飛ばして、ナタなどをと鎌を両手に、走って鹿を追いかける、原始人のような僕がいた。
でも、こっちも真剣なのだ、2年連続失敗は許されない、本気で守らないと、しかも本気で食べていこうとしているのだ、前年は、「しかも人間の分は残してくれるだろう」と甘く見ていたら。
鹿は、全く容赦なく。全部食べ尽くす勢いで来るのだ。
いよいよ、かりとりのだんになっても、問題は山積み、中古で買ったバインダーの調子が悪く、一回束ねては一回ワラをまき散らすというように、まるで手で刈っていった方がはやく終わるのではないかという具合、しかもそのあいだに雨に降られ、機械の足が取られ、自分の足が取られまさに泥沼。
それでも肉体的苦痛はまだ耐えられる。
人の意見はもっとつらく突き刺さってくる。
「米は買った方が良い」
米作りに関しての、意見はみなほとんど同じだ。
それだけ、日本の農民は搾取されひどい仕打ちを受けているのだろう。
普通にJAに出荷すれば一俵一万円にもならないという。
大きな機械を使い、その月賦に追われてかさんでいく出費。
農家の人達が、ほとんど、あきらめムードになってもしかたがない、後10年もすれば田んぼは、ほとんどはらっぱになってしまうのではないだろうか。機械でお米を作って相当の赤字になっている人の話も聞く、それでも田を荒らすことを好まず、毎年田んぼをやっているのだという。
米つくりは出来ないのだろうか、農民が普通に生活できるすべはないのだろうか?
昔の人達はどうやって暮らしていたのだろうか。
近所のおじさんに、ハーベスターを借りて、どうにか脱穀、一束一束が米になっていく。
そのあっけなさが、今までの苦労と共に涙になる。心の中で、RCの「ヒッピーへ捧ぐ」が流れる。
ハーベスターが途中で動かなくなった。
昔の米のかすがたまって、米を落とす管まで登って行かなくなっていたのだ。
貸してくれたおじさんと二人で分解して掃除し続けるうちに、なぜだか、2人の心が一つの方向に向かっていることに気が付いた、「米作りがこの地域から無くなって欲しくない」そういう思いが2人を動かしていたのだ。思えば、母方の祖父もはんこを作る仕事をしながら、毎年米を作っていた、脱穀を小学生時代に手伝ったこともあってからか、なんでか、こういった作業がなつかしく、そして自分に合っている仕事なのだと感じる。
2時間かかって、あきらめかけた頃、お茶を飲みながら、機械を揺すったりしていると、米の大きなかたまりが、機械の管の先っぽからボトンと落っこってきた。
どうにか作業完了。
無農薬無肥料、除草剤無し、天日干しのお米がこうして(借り物競走のようではあったが)出来上がった。
やはり米作りは、1人では出来ないもの、協力して一つの方向に向かうということの大事さが見えてきた。
時給に計算したら、とてもやっていけない仕事ではあるが、みんなで楽しみの一つとして共同作業をする。
そこに忘れられた喜びが存在するような気がする。稲に声をかけ、手で刈り取ったときの喜びと楽しさ、それが本当の、本来の米作りのあり方なのだろう。
バンドをやったときみたいな一体感は、一つのことに一生懸命になった時だけに体験されるもの。
機械に頼って、稲にさわっている時間より、機械に触っている時間の方が長いという農業になって、農民自らの喜びを取り去ってしまっている気がする。

育ったお米をはじめて口に入れた時、おもわずむせび泣き、感謝があふれてくる、米は美味しく育ってくれた。
ありがとう。
come together!

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2014.11.19 / Top↑

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