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完璧主義
なぜいつも満足できないのだろう、なぜもっともっとと望むのだろう?
映画の中の人みたいな生活を、世界中の人がしたら、きっと地球が耐えられないだろう。
だけど、常にもっと素晴らしくと求め、今の自分や、周りにイライラする。
自分はどれだけできたか、結果を気になり、不安になる。
楽しい範囲で、もっと良くしたいな。ということと、完璧主義は違う。
犬をしつける時に、餌で釣ってみたり、「良い子にしないとあげませんよ」と言って、手なずけること。
または、叩いたり、怖い思いをさせて、恐れを植え付けて、親に逆らわないように、育てていくこと。
親の親もきっとそうされてきたんだろうな。
でも、自由主義も、日本に来てからまだ年月が浅いことを思うと、今だに、ぎこちなく、馴染めなくて当然だ。
年功序列の村社会の中では、自由なことを考えたり、言ったりすると、変り者扱いされるのが当然だ。そうしないと生きていけない社会だったのだから。
都会に行けば、もうそんなことが大事ではなく、変人も、一つの資源になり、重宝がられ、もてはやされる。
社会に合うか合わないかで、その人の価値も変わってしまうわけだから、世間というものは、世間でしかないのだ。
自分が変わっていようが、普通だろうが、のろまだろうが、せっかちだろうが、自分の価値は、変わらずあって、世間は、その価値をしらないだけなのだ。
そのまんまの自分を、認めてやる。
そうでなければ、目の前の人が、いつも邪魔者に見えるし、鏡を除けば、気に入らない奴がいつもそこにいることになる。
先祖や、他人や、先生が都合に応じて、刷り込んだ古い価値観をぬぐい捨てていくにはそれしかないのだ。
「こんな自分だって、よくやってるよ、ずいぶんできるようになったよ」と褒めてあげる。
それは自分にしか、それはできないことなのだから。
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2019.03.26 / Top↑
いつも不当な扱いを受けている感じることは、どこから来るのでしょうか?
劣等感について感じたり体験したことを書いてみようと思います。

その1 小麦粉(大戦後からこの国に多く持ち込まれた白い粉)
子供の頃から、朝食はパンだった。
僕にとって小麦粉は、なくてはならないものだった。
大好きな、ドーナッツ、ラーメン、うどん、スパゲッティー、餃子、ケーキ、クッキー、お菓子、ピザ、など。
2年前から、妻がアレルギーのため小麦粉をやめ、僕も一緒に食べなくなった。
最初の2週間ぐらいで、禁断症状のように、妻に「小麦粉を食べさせろ」と激怒し、激しく怒った。
それが体に残っていた、小麦粉の最後の叫びだったのか、ぱたっと、小麦粉を食べたくなくなった。
以来、生活は一転して、見るのも嫌なほど、欲しくなくなってしまった。
どのような変化があったかというと。
1,「イライラしなくなる」
今まで何かムカついた感じがあったのは、消化するのにとてもエネルギーを使っていたからではないだろうか。
なんでも気長に考えるようになった。
2,「アレルギーが消える」
花粉症時期にどうしようもなく、目がしばしばして、くしゃみが止まらなかったのも、すっきり消えてしまった。
3,「風邪をひかない」
風は、小麦粉の毒素を体から出すための、浄化現象だったのではないだろうか?
4,「心が追い詰められない」
むやみに切なくなったり、プチ鬱に入ったり、理由のない不安に陥らなくなりました。
5,「劣等感を抱きにくい性質」
何か競走しようということや、悔しいとか、負けてたまるかという、戦闘的性格が消えて、丸い性格になりました。
6,「ありのままの自分が出てくる」
昔から持っていた自分が復活したような感覚、自分らしさがどんどん増していって、子供の頃に帰ってような気持ちになってきます。(これが日本人的気質なのかもしれません)

結論:小麦粉は人を洗脳するためのアイテムだと言えます。
口に美味しく体にに害毒を入れてしまうと、麻薬的にそれが欲しくなり、そのためだけに人生を費やしてしまいます。でもそれはエサで、本質的には、それに惑わされているのです。
グルテンフリーが謳われている現在、そのことに気付いている人もいると思いますが、僕の感じていることを伝えようと思って書きました。
ちなみに、うちのカフェ「ホシメグリ」では、米粉のケーキとパンしか扱っておりません。
2019.03.06 / Top↑