古民家を改装した我が家に宮司さんがいらっしゃり、お祓いをしてくださった。
家が直った暁には、そうしようと決めていたので、
ようやっとこの日が迎えられて嬉しい、

宮司さんは、何の気配もなく、スーと車でやってきた。
ほとんどの人は、気配を出してくるのだが、
さすがは宮司さん。

僕はクリスチャンだけど、神様という物は、みんな仲良しだと思っているので、
良い神様はどんどんお迎えしたい。

家内は、神道派なので、今回は家内の指向が強かったとも言える。

八百万大御神様をお迎えし、お榊を手に神様とつながる儀式、
榊の葉を自分に向け、茎の方を神様に向ける。

これは、キリストさまも同じことを言っている、「私はまことのブドウの木、何時らは枝である、私につながっていれば実をならすことが出来る。私につながっていなさい。」

家の四方に榊を立てて、井戸にも立て、新しい住民を、招き入れてくださるようにお願いした。

それまで、こわくて近寄れなかった場所にも、神様にお願いをして、天界に去ってくださるように、お祈りしてくださった。

昔、祖父が祈ってくれた祈りと、ほとんど同じ祈り方で、何遍も、様々な場所で祈っていただいた。

春日神社の分家が、この美作の地にあるとは、しかもそこは、来年で1000年になるという。お祭りもあるらしい。

宮司さんは、至って謙虚に、必要なことだけおっしゃって。おかえりになった。

その午後、この地域のお祭りの準備に草刈り気を持って、近くの神社に行った。
岡山に引っ越してまだ、3ヶ月しか経ってないのだが、
ここに住む人達の習慣が、懐かしく感じ、親しみを覚える。

アフリカ人と一緒。

長話が好きなのだ。
神社の掃除が終わっていても、草原に腰を下ろし、ひとしきり話している。
東京だったら、とっくに解散しているような場面でも、
なんとはなしに、ゆるい時間が流れている。

そんな時、
本当に久々に、
「自分は今休んでいるな。やすまるな〜。」
と気持がゆるむ瞬間があった。

これが田舎の人達の、暮らし方、たのしみ方なんだな〜、
と不思議な、安堵感を感じた。

都会にいて求めても、このようなつながりは、得られない。

みんなそれが欲しくて、パーティーにいったり、ライブに行ったり、モールで買い物したり。
でも何かが足りない。

田舎には、そんなものいらない、自分たちで、小さなパーティーをどこででも繰り広げているのだから。

アフリカの病院の待合室の風景を歌った歌とよく似ていて。
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2012.10.15 / Top↑
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