「田んぼ三反やらんか」
近所のおじさんが、僕が田んぼをやりたいと話していると、その場で言ってくれた。
「え、そんなにたくさん?」
今年は一反だけと決め込んでいた僕は少し躊躇していた。
正直、自家用の米を作るのは無理せず、楽しめる範囲でと思っていた。
奇跡のりんごの木村さんの米作りが、岡山で広まっているのことを知ったのはそのすぐあとだった。
倉敷で開かれた、報告会にとりあえず行って、話を聞いてみた。
「一年の費用4000円で一反できました。」
初めて田んぼをやる若者が報告していた。
木村さんは、草ぼうぼうの原っぱに、7回作業しただけで1反7俵とりました、かんたんです。
と本当に楽しそうに語っていた。
僕もやってみようか、やれば出来るかもしれない、お尻に火がついた。
しかしそこに来ている人は、ほとんど県南に人で、僕の住む県北でやっている人は少なそうだった。
地元の美作に近くで木村式をやっている人がいないかと思っていた矢先に、
美作のセッションパーティーで木村式をやっている方と会うことが出来、暗闇に少し光が見えてきたような気がした。
足しげく彼のところに手伝いに行きながら、木村式のあれこれを教えてもらった。
開墾作業を、近所のおじさんが貸してくれた古い耕耘機でやった、ディーゼルエンジンを手回しでかけるのも、僕には初めての経験で、わくわくした。
古い機械は、重くてごつい、でも一度動き始めたら、簡単には止まらないすごい頑丈な品物だ。
山々に響き渡るエンジン音とにかくでかい音が出る、僕はこのハーレーのような、ドドドドドという音が、たまらなく好きになった。
畝作りは、近所のお兄さんに畝作りの付いたトラクターでやっていただいた、その時、ヤ◎マーの方が、通りがかりに僕らのやっている田んぼに来て、クワで溝を掘っているのをみて、「昭和を感じますね」、
とか、コンバインも使わないで米を作ろうと思っていることを話すと、「地獄を見るようだ」と言って帰っていった。
その言葉に、本当にやれるのだろうか、としばしクワを片手にぼくは考えてしまった。
前年は、5セの田んぼを自然農法で人力で手をかけて育てたにもかかわらず、鹿にほとんど食べられてしまい、大失敗に終わっていたので、その悔しさがまだ心に残っていた。
今年はやられまいと、2月ごろから柵を作り、資材は周囲の竹を使った。2メートルの竹垣を一周100メートル、
それとは別に、3反借りた田んぼの2.5反を竹で支柱してネットを張り巡らせた。
苗は木村式の先輩から教えてもらい、苗箱で自分で作ってみた、
田植えも、自分で買った中古機械を3日かかってキャブを掃除してエンジンがかかるようになったにもかかわらず、うまく田植えが出来ず、結局近所のおじさんに機械を借りて植えた。
木村式で特徴的なのは、「こんだら」という名前のチェーン除草機、竹の筒にチェーンがたくさんついていて、それを、苗の上から引いてゆく、星飛馬の「おっもっいーーいこんだーあーら」の引っ張ってるシーンが思い浮かぶので、この名前になったらしい。(重いと思い違いなのだが)
草はその後、3,4日おきに3回除草した。
周囲の方々は、物珍しそうにそんな光景を眺めていた。
木村式であつかっている品種が、「朝日米」が主なので、やってみようと周りの人に聞くと、県南では良く栽培しているが、住んでる県北では、ほとんどやっている人がいないという。米が出来ても、干しているうちに穂からポロポロ落ちてしまうという特徴がある、と教えてくれた。
たいていの人は、やめた方が良いというので、2.5反の田んぼの4分の1だけ今回やってみることにした。
あとは、自然農で使っている、強い品種の、イセヒカリと赤米、黒米だ。
山ぎわから鹿が来るので、山ぎわに毛の長い古代米を植えてみた、
(前年、毛が伸びてからの古代米をあまり鹿が好まなかった様子だったので。〉
稲が伸びてくると、青い柔らかい芽を鹿が狙ってくる、ネットの下からくぐり抜けるので、さらにLEDセンサーライトを付け、足下に妨害があるのを嫌うので、地面に鳥用ネットを張り巡らし、なるべくは入りにくいように仕掛けた。
それでも、柵だけで合計2万円くらいかかってしまった。
いよいよ稲に花が咲き、少しずつ実ってくると、また鹿が「ぴーーろろ」と鳴く、近所の田んぼにも作物があるうちは、こちらばかりが狙われることもないのだが、朝日米は晩生といって、時期が遅く出来る品種なので、みんなが刈り取ってからまだ、一ヶ月ぐらい刈り入れを待たなくてはならない。
鹿が、柵の中に入っていると、近所の方や通りかかった人が連絡してくれて、夜中だろうが朝だろうが、車を飛ばして、ナタなどをと鎌を両手に、走って鹿を追いかける、原始人のような僕がいた。
でも、こっちも真剣なのだ、2年連続失敗は許されない、本気で守らないと、しかも本気で食べていこうとしているのだ、前年は、「しかも人間の分は残してくれるだろう」と甘く見ていたら。
鹿は、全く容赦なく。全部食べ尽くす勢いで来るのだ。
いよいよ、かりとりのだんになっても、問題は山積み、中古で買ったバインダーの調子が悪く、一回束ねては一回ワラをまき散らすというように、まるで手で刈っていった方がはやく終わるのではないかという具合、しかもそのあいだに雨に降られ、機械の足が取られ、自分の足が取られまさに泥沼。
それでも肉体的苦痛はまだ耐えられる。
人の意見はもっとつらく突き刺さってくる。
「米は買った方が良い」
米作りに関しての、意見はみなほとんど同じだ。
それだけ、日本の農民は搾取されひどい仕打ちを受けているのだろう。
普通にJAに出荷すれば一俵一万円にもならないという。
大きな機械を使い、その月賦に追われてかさんでいく出費。
農家の人達が、ほとんど、あきらめムードになってもしかたがない、後10年もすれば田んぼは、ほとんどはらっぱになってしまうのではないだろうか。機械でお米を作って相当の赤字になっている人の話も聞く、それでも田を荒らすことを好まず、毎年田んぼをやっているのだという。
米つくりは出来ないのだろうか、農民が普通に生活できるすべはないのだろうか?
昔の人達はどうやって暮らしていたのだろうか。
近所のおじさんに、ハーベスターを借りて、どうにか脱穀、一束一束が米になっていく。
そのあっけなさが、今までの苦労と共に涙になる。心の中で、RCの「ヒッピーへ捧ぐ」が流れる。
ハーベスターが途中で動かなくなった。
昔の米のかすがたまって、米を落とす管まで登って行かなくなっていたのだ。
貸してくれたおじさんと二人で分解して掃除し続けるうちに、なぜだか、2人の心が一つの方向に向かっていることに気が付いた、「米作りがこの地域から無くなって欲しくない」そういう思いが2人を動かしていたのだ。思えば、母方の祖父もはんこを作る仕事をしながら、毎年米を作っていた、脱穀を小学生時代に手伝ったこともあってからか、なんでか、こういった作業がなつかしく、そして自分に合っている仕事なのだと感じる。
2時間かかって、あきらめかけた頃、お茶を飲みながら、機械を揺すったりしていると、米の大きなかたまりが、機械の管の先っぽからボトンと落っこってきた。
どうにか作業完了。
無農薬無肥料、除草剤無し、天日干しのお米がこうして(借り物競走のようではあったが)出来上がった。
やはり米作りは、1人では出来ないもの、協力して一つの方向に向かうということの大事さが見えてきた。
時給に計算したら、とてもやっていけない仕事ではあるが、みんなで楽しみの一つとして共同作業をする。
そこに忘れられた喜びが存在するような気がする。稲に声をかけ、手で刈り取ったときの喜びと楽しさ、それが本当の、本来の米作りのあり方なのだろう。
バンドをやったときみたいな一体感は、一つのことに一生懸命になった時だけに体験されるもの。
機械に頼って、稲にさわっている時間より、機械に触っている時間の方が長いという農業になって、農民自らの喜びを取り去ってしまっている気がする。

育ったお米をはじめて口に入れた時、おもわずむせび泣き、感謝があふれてくる、米は美味しく育ってくれた。
ありがとう。
come together!

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2014.11.19 / Top↑
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