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アナログが好きで、友達にもらったカセットテーププレーヤーで音楽を聴いている。
CDよりも断然、音がいい,生で響いてくる。
いつからこんなもの失っているんだろう、
今の子供達は、カセットすらも知らないのではないだろうか?
20歳のころにCDなどのデジタル音の危険性を知っていたから、旅をするとき外国でチョコチョコ安いカセットを買いまわっていたのが良かった。
今じゃあほとんど手に入らないだろうというテープもまだ現役だ。

アンプの真空管を新しくする、これも何かアナログなことだが、僕には新しい楽しみだ。

歌詞を書いてみた。地元で歌いたいな、こんな曲。
小規模農家

あおいそらが 少し出てきたなら すぐ晴れ間になって 山々てらす
みちあう人に あいさつをしたら お芋をくれたよ 両手いっぱい

都会にいたのでは できなかったことも ここでならできる 小規模農家

おもしろいタネ 手に入れたんだ さっそく植えよう 一粒づつ
なにげないことも ほっとさせてくれる 田んぼに広がる たきびのけむりも

たとえなにかあって 落ち込んだとしても 
草取りしたら わすれてしまう

いつだって歌うよ 僕の胸の中に
こだましてるセミと カエルとともに

地元といえば、今週(10/10)金曜日岡山県津山市の音楽祭:城東むかし町家で18時からイベントで歌います。
ボサノバやフォークシンガーも出るそうです。無料だと思うのでお近くの方はぜひいらしてください。
2014.10.07 / Top↑
義理のお父さんは、テレビが好きだ。
うちは、ここ6年ぐらいテレビのない生活をしていたが、
とうとううちにもテレビが入ってきた。
家族のものが、みんな僕達のような暮らしぶりを望むとも限らないので、
今回のお父さんが来ることで、家の中が、とても便利になった。
シャワーが使えるようになった。
これはとても画期的なことだった。
風呂といえば、12時ごろから、手作りの太陽熱温水システムをまわし、
15時ごろから薪で湯を沸かし。
19時にようやく入れるかな、という感じだったので、
かなりの時間を、とられていた。
そんな生活を選んだとはいえ、冬薪ストーブに、炊事に、風呂まで薪だと、
同時に3箇所の火の管理をしなくてはならず。
ほとんどそれだけで一日が終わってしまいかねない。
火のそばで、カリンバを弾いたりも試みたが、
とてもそんなゆうちょなものではなかった。
プロパンガスが入った。
炊事もガスでできるようになったのだ。
いままでも、カセットコンロを多用してはいたが、
なくなることを気にせず、2つ同時に料理ができるのは、やはりありがたい。
テレビをつけるのに、パラボラアンテナを、買ってきて自分で取り付けたのだが、
角度がわからず、いろいろ動かしてるとき、
お父さんと妻が、モニターを見ていてくれて、
「やーやーやー」と二人で大声で、映ったことを喜んでいたのが印象的だった。
それまで、僕が見てきた、父娘の会話は、なんだか殺伐としていて、
まるで他人と話しているかのようだったが、
今回、義父が脳卒中になって、妻の接し方がまるっきり変わっていた。
病気は、確かにいいものではないが、それをきっかけに、変わっていくことがたくさんある。
そのことは、確かに必要なことで、神様がそのために、働いてくださっていることを、感謝せずにはいられない。
以前の父は、僕の生活に対しても、それほど肯定的ではなかったように思う。
ライブには、何回も来てくれていたけれど、正直、このような男に娘を預けてよいものか、考えあぐねていたような気がする。
げんに、結婚する前両親同士で、食事をした際に、「それで、どうなさるおつもりですか?」
と僕に、返答のしようのない質問を投げかけてくださったのが、父なのだから。
しかし、今の義理父は、何もしゃべれないのだが、僕が草刈りしている姿や、電線を取り付けてるしぐさ、
妻と話している様子を、ほほえましそうに眺めている。
大あくびする僕を、「ははは」と笑っていたりする。
病気のことを、あまり幸いがってはいけないのだが、
やっと家族になれた気がする。
僕のような、おとこも、それなりに認めてくれたような気がする。
義父は、もともと高校の教師で、僕のもっとも苦手なタイプの人だったわけだが。
人生はわからないものだ。
2014.09.20 / Top↑
手を出せば もっとやりたい くさかりも
 しゅみの範囲で 止めておこう

田舎暮らしに必ずついて来るもの
「草刈り」
草刈りもやり始めると楽しくなる。
暑い日や雨の日はびしょぬれになって快適とまではいえないまでも、
きれいに刈った、あぜや庭は気持ちのいいものだ。
10代の終わりから造園屋に勤めていた経験から、草刈り自体に何の苦も感じない、むしろ自分の中でリフレッシュの時間だ。
草刈りのにおいも懐かしい。
がしかし、都会の公園で草刈りして、ゆったりと休憩するような優雅なものでは決してない。
田舎の草刈りは、戦いだ、マムシ、ブヨ、ダニ、ムカデ、危険な生き物から身を守るための、重要な仕事なのだ。
ちょっとでも草を生えるままにしておけば、格好のヘビのたたずむ場所になってしまうからだ。
あこがれていた、優雅なウッディーライフとはまるっきり違う過酷で、少々気味の悪い世界がそこには待っているのだ。
機械や設備、経済力、体力さえまともにあれば、乗り越えられるものも、時に残酷なハードルとしてのしかかってくる。
田舎の人達の、身のこなしや生活のテンポも、実はそんな日々のしかかってくる重圧から身を守る処世術を含んでいるのだろう。

急速に荒れていってしまっている里山を美しく保全するために、ここ一年躍起になって、竹を間引いたり、草を刈ったりしていたものの、一人の力ではなかなかよくなっていくものでもない。冬の間、薪が底をついた時、竹やぶから、枯れた竹を切ってきてよく燃やしていたが、そんな風に生活に生かしていかなくては、里山を維持することなどできないと感じた。
 造園の経験があってようやく今の生活が成り立っているな、とさまざまな経験に感謝しつつ、今日も草刈り機を握る。

手を出せば もっとやりたい くさかりも
 たのしい範囲で 止めておこう
2014.07.13 / Top↑
あたらしく
生えておくれよ
根っこたち
夏はまだまだ
これからだ

ぎゅうぎゅうのおしくらまんじゅう、満員電車のような、苗床から。
おおきな池に落とされた苗たち、
植えるときは、ぶちっと、根っこを切ってしまうけれども、
短くなった根っこで、もういちど、夏を迎えて大きくなってほしい。

切られて、はじめて、この世界の大きさを知るかのように。

はるか雲の上から、見れば、小さなひとつぶ、この地球の小さな命。
小さな種の分身、

鹿が食べようが、僕が食べようか、どちらにしても、ひとつぶのいのち。
柵を作ってみた、命惜しさの、苦肉の策。

徒然なるまま、
自然な戦い。
見えるものは、無力な自分。

美しい里がよみがえったらなと、竹林を切りたおし、
笹を切れども、梅雨でまたもとどおり。

ぶちぶちに切られたのは、僕の都会で育った根っこ。
自然の猛威の中で、もういちど夏を迎えて大きくなってほしい。


あたらしく
生えておくれよ
根っこたち
夏はまだまだ
これからだ
2014.06.26 / Top↑

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